不動産コンサルタント 大野レポート No.25
タカラ塾
2013年6月30日
『 その後 』
ヨシフ・ブロッキイ 山本 愉美子 訳
歳月は過ぎてゆく。石造りの宮殿の門に罅(ひび)が入る。目の弱い縫子がやっと針に糸を通す。聖なる家族、描かれた姿はエジプトへ 、辛くも 、半ミリ近づく。
この世の大部分は、いろいろな生き物で成り立っている。夜、天文学者は、一体となって輝く片々を目を見張って確認する。
私は最早、事件がどこで、いつ起きたか思い出せない。これも、そのほかのものも。昨日? 数年前? 庭のベンチで? 外で? 水中で? 私に何があったのか?
事件そのもの・・・爆発または、洪水、クズバス油井の明かり、何かの裏切り・・・私自身や、助けられたり、逃亡した物の痕跡を埋め、何も思い出せない。
おそらくこれは、私たちが生と闘っていることだ。私もまた、あのざわざわする素材の一片となったのだ。あの織物の漂白は中間色となって、肌に影響を与える。
おおよそで言えば、私もまた、なにかしかの皺、碑、バッチワーク、イチジクの葉、片々と全体、原因と結果につながっているということだ・・・
無視されるもの、切望されるもの、恐怖で立たされているものすべてに。
私に触れば・・・
干からびたゴボウの茎に触れる。
遠い三月の夕暮れ、本能的なしめり気、街の石切り場、広い大草原、生きてはいないけれども私が覚えているものに触れる。
私に触れれば・・・私を無視するもの、私を、私のコートを、私の顔を信じないような碑とを困らせる。その人の本では私たちはいつも紛失物。
あなたに話しているのだ、聞いてくれなくとも私が悪いのではない。強打すれば、日々の総体はその目を傷つけるのだから。その声はくぐもっている、うるさくしないようにしたい。
雄鳥の鳴き声ね。レコードの中心で聞こえるチクタク、
針の音があればなおいい。赤頭巾が陰気な連れに不平をいわなかったように、私が話すのを止めてもあなたが気づかなければなおいい。
1986年 チェルノブイリ
タカラ塾塾長 大野 哲弘